
こんにちは、SKOOTAGAMES ネゴラブチームのモブと申します。
最近はありがたいことに様々なインディーゲームの祭典が生まれ、私たちのような開発者にとっても、そしていちゲーマーにとっても、喜ばしい忙しさが続いております。BitSummitのような相対的に規模の大きいイベントや、真新しいコンセプトを掲げた新興勢力に、つい目を奪われがちになっていたのもまた事実です。SKOOTAとしても東京ゲームダンジョン、通称ゲムダンをレポートするのは少々久しぶりのこととなりました。
実のところ、回数を重ねるごとに、ゲムダンというイベントはある種の「見慣れた景色」になりつつあるのではないか――少し前まで、私は密かにそんな思いを抱いていました。インディーゲームを愛する開発者たちが集う安心感。お馴染みのベテラン勢が顔を揃える、いわば「行きつけの居酒屋」のような、温かくも成熟した空気感です。それはそれで非常に居心地の良いものですが、同時に少しだけ新鮮味が薄れつつあるような気もしていたのです。

ですが、今回の第13回に参加してみて、私の中のそんな固定観念は、見事に覆りました。
初めて出展される方々が持ち込む、荒削りながらも強烈なエネルギー。それが見慣れたベテラン勢の作品と隣り合わせに並び、会場全体が新しい街に変貌していたのです。ともすれば閉鎖的になりがちな界隈において、これほどまでに風通し良く、新しいクリエイターたちを歓迎する「開かれた空気」が保たれている事実。それはまるで、常連のハンターたちが集うダンジョンの入り口に、いつの間にかゲーム作りを始めた冒険者であふれる始まりの村ができていた、のような感想でした。
常に新陳代謝を繰り返し、アップデートされ続けるゲムダン。今回は、そんな新しくなった会場の空気の中で、特に私の足を止めさせた3つのタイトルをご紹介したいと思います。それでは、参りましょう!
『駅前のカフカ』――不自由さが生み出す、背徳的な没入感

最初のタイトルは『駅前のカフカ』。コマンド入力式のアドベンチャーゲームです。
コマンド入力式に馴染みのない方のために少し補足しますと、本作はマウスのクリックやコントローラーのボタン操作ではなく、決められたテキストコマンドを入力することで行動を起こす、という独特のシステムを採用しています。有名な作品で言えば『STEINS;GATE 変移空間のオクテット』などが挙げられますが、かく言う私も、この形式のゲームを自らの手でプレイするのは今回の『駅前のカフカ』が初めてでした。
初めて触れたからこそかもしれませんが、私の率直な印象は、いうまでもなく「新鮮さ」でした。プレイヤー自身の分身としてキャラクターと一体化し、直感的に操作できる最近のゲームとは対照的に、本作はあくまで「開発者が設定した限られたコマンド」しか受け付けません。この「不自由さ」が、現代を生きるゲーマーにとしては、むしろ新鮮な刺激として機能しているように感じられました。
とりわけ興味深かったのは、主人公と少女の対話を通して得られる奇妙な感覚です。エビ太郎に似ているという謎の印象以外、素性の一切が不明な主人公。そして彼と何らかの関係があるらしい、謎めいた少女。この二人の不連続な会話をコマンド入力で紐解いていく過程は、誰かがわざと隠した日記や機密データを、パスワードを打ち込んで無理やり覗いているような……そんな、言葉にしがたい背徳感を伴うものでした。


それが意図的な演出なのか、システムと物語の奇跡的な合致なのかはわかりません。ただ、単に世界観が魅力的である以上に、プレイヤー自身が「強引に隙間をこじ開けている」ような手触りがあるからこそ、私は深く没入できたのだと思います。キーボードを叩きながら、「どんな単語なら、この閉ざされた扉の向こう側を見せてくれるのだろう」と熱中している自分に気づいたとき、まるでいけないことをしているかのような、仄暗い楽しみすら覚えてしまいました。
誤解のないように申し添えておきますと、『駅前のカフカ』自体は、非常に静謐で落ち着いた空気が漂う、誰もが安心してプレイできるアドベンチャーゲームです。「駅構内」という限定された空間、正体不明の主人公と彼を知る少女、そして意図的に伏せられている多くの情報とねじられた謎の空間設計まで。その「隠されていること」そのものが最大の魅力として作用する、実に秀逸な作品でした。
現在、Steamにて第1章の体験版が配信されておりますので、気になった方はぜひこの奇妙な没入感を味わってみてください。
『TITAN CLIMB』――同じ目線で向き合う、途方もなく優しい冒険

二つ目のタイトルは『TITAN CLIMB』。傷つき倒れた巨大な巨人を救うため、その体によじ登るという特異なコンセプトの「アドベンチャー + シミュレーションゲーム」です。巨人、そしてシミュレーター。この二つの単語が並んだだけで、どうしてこうも心が躍るのでしょうか。今回の体験版では、脚に怪我を負った巨人を癒やすため、雷を落とすアイテムを携えてその体をゆっくりと登っていく様子をプレイすることができました。
上記の説明から、まず『ワンダと巨像』のような作品を連想された方も多くいるでしょう。到底太刀打ちできないような圧倒的な存在に対し、まるで蟻のようにしがみつき、弱点を突いて崩れ落とさせる。それは、難攻不落の城壁を打ち崩すような途方もない達成感と、私たちが幼い頃に聞かされた神話や伝説の英雄になったかのような、抗いがたい高揚感を与えてくれるものです。
しかし、本作『TITAN CLIMB』が提示する世界は、それらとは明確に一線を画しています。プレイヤーは巨人を「打倒」するのではなく、「治療し、助ける」ために登るのです。見上げるほどの巨躯は、恐怖や畏敬の対象としてではなく、プレイヤーと同じ世界を共有する「対等な存在」として描かれています。そんな途方もないスケールの他者を、自らの手で「助ける」立場になるということが、プレイヤーにとっていかに優しく、そして特別な体験になるかは、もはや多くを語るまでもないでしょう。

激熱の展開もありました。

今回の体験版は、私が想像していた「雰囲気」と「ゲームシステム」の両面において、その魅力を十分に伝えてくれるものでした。もちろん、まだ開発途上で粗削りな部分も見られますが、①「生きている巨人の体を登っている」という生々しい感覚と、②「巨人を助けている」という確かな実感。この私が最も期待していた二つの要素は、すでにしっかりと軸として存在していました。
また、本作を構成する最も重要なアクションである「登る」という行為についても触れないわけにはいきません。このゲームは、想像以上に多くのパラメータ(水分やスタミナなど)と、それに伴う厳密なリソース管理を要求するシステマチックな作りになっていました。全体的なプレイフィールとしては『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』にインスパイアされているように感じつつも、本作特有のリソースシステムとして見事に昇華されており、「ただ登る」だけではない、シミュレーションとしての確かな手応えを感じることができました。

この作品を総括するならば、「誰もが一度は夢見た、優しい冒険」と言えるのではないでしょうか。『ワンダと巨像』や『ゴッド・オブ・ウォー』(の一部シーン)といった名作に触れてきた開発者であれば、一度は思い描きながらも、その途方もないハードルの高さゆえに実現に踏み切れなかったであろう、ロマン溢れる題材。そして何より、常に見上げるしかなかった「巨人」と同じ高さに立ち、同じ目線で向き合えるというただそれだけの事実が、プレイする者に不思議な慰めと満足感を与えてくれます。
なぜだか無性に、その完成を応援したくなる。そんな温かな魅力を持った作品でした。どうか多くのプレイヤーに、この巨躯との優しい対話を味わっていただきたいと願っています。
『リリリ・リスポーン』――「死」を計画し、実写の生々しさを踏み越える

最後のタイトルは『リリリ・リスポーン』。実在のお笑い芸人の方をモデルとして起用し、「死を繰り返す」ことを前提としたパズルプラットフォーマーゲームです。
「死ぬことで目の前の問題を解決する」という根幹のシステム自体は、いわゆる「死にゲー」として、私たちゲーマーにとって過去に全く例がないような、完全なる真新しさとは言えないかもしれません。理不尽なトラップ(レーザーや回転ノコギリ、あり得ないサイズのハンマーなど)が配置された3D空間を、唯一の人間かもしれないキャラクターが血みどろになりながら進んでいく。レベルやステータスではなく、プレイヤー自身が失敗から得た知識と経験だけが武器となって難解なパズルを解き明かすカタルシスは、多くの方がいくつか似たタイトルの名前を挙げられるほど、一つの確立されたジャンルとして広く親しまれています。
しかし、本作がシステム的に持っている明確な差別化のポイントは、「死そのものがメリットになる」という死にゲー特有のギミックをより直感的に分かりやすく落とし込んでいる点にあります。すなわち、「自分が以前死んだ場所に自身の死体が残り、その死体を足場として踏んだり登ったりできる」という独特のルールの追加です。これにより、プレイヤーは単に死を避けるのではなく、「どう死ぬべきか」を能動的に悩み、自然と「次の生」を計画するようになります。


ここまでの説明であれば、「ゲームシステムの面白さを深く追求したプラットフォーマーゲーム」という印象に留まるかもしれません。しかし、私がこの作品にさらに深い意味合いを感じたのは、先述した「実在のお笑い芸人をモデルに使用している」という点でした。
これまでの多くの死にゲーに共通する特徴として、プレイヤーが操るキャラクターにあまり大きな意味を持たせない、という定石があります。どこかの誰か、自分とは接点の見出しにくい真っ赤な他人や、いつ命を落としても世界にさほど影響を与えないような、いわゆる「普通のおじさん」的な存在。そういう匿名性の高いモデルを使用するのが、このジャンルのある種のパターンだと言えます。お笑い芸人の方に明るくない私にとって、本作のモデルは一見同じような記号に見えるかもしれませんが、少なくともイベント会場で多くの人々が興味を持ち、キービジュアルに同じ顔がいくつも並んでいる光景に奇妙な「生動感」を感じていたのは、紛れもなく「実在の人物からモデルを引っ張ってきた」という事実から生じている現象だと思いました。

これは単なる「有名人の起用」というキャッチーな要素を超えて、誰よりも死を意識し、ある意味で死を推奨するシステムの中に、あえて異物とも言える生々しさを吹き込んでいるように思えてなりません。普段なら無意識に受け流してしまう「キャラクターの死」という記号を、あえて一つの「ノイズ(引っかかり)」としてプレイヤーの心に機能させる。そんな極めて緻密な設計ではないかと、疑念(あるいは感嘆)すら抱かせてくれます。どちらにせよ、非常に優れたアイデアであることには間違いありません。
今回の体験版では基本的なルールを用いた比較的クリアしやすいパズルを楽しめましたが、Steamのストアページを拝見すると、過去に残した死体を吹き飛ばして的に当てるなど、さらに多くかつ狂気的なギミックが用意されているようです。斬新なアイデアがひしめく今回のゲムダンの中でも、とりわけ深く脳裏に焼き付く、強烈なインバクトを放つ一作でした。
おわりに ―― 変わらない情熱と、変化し続けるアイデア

以上、東京ゲームダンジョン13にて出会った、3つのタイトルをご紹介させていただきました。
プレイヤーに「不自由さ」を強いることで背徳的な没入感を生み出した『駅前のカフカ』。圧倒的な存在である巨人と対等な目線で向き合う優しい冒険『TITAN CLIMB』。そして、実写モデルの生々しさを逆手に取り、死を計画させる『リリリ・リスポーン』。
これらの作品に共通しているのは、単に奇抜なだけではない、ゲームというメディアが持つ「当たり前」を少しだけズラしてみせる、インディーゲームならではの鋭い視点と哲学です。13回という回数を重ねてなお、この会場に足を踏み入れるたびに私たちが鮮烈な「新しさ」を感じてしまうのは、決して枯渇することのない開発者たちの情熱とアイデアが、常にここへ集い続けているからに他なりません。
そして、冒頭でも触れた通り、そんな開発者たちの姿を間近で見たプレイヤーが「自分も作ってみようかな」と新たな一歩を踏み出し、いつか自然に開発側のブースに立っている。その静かで確実な循環こそが、東京ゲームダンジョンという場をより特別で、温かいものにしているのだと改めて実感した一日でした。
私たちSKOOTAGAMESも、こうした熱気から得たインスピレーションを糧に、現在開発中の『ネゴラブ』をはじめとするプロジェクトをさらに磨き上げていく所存です。いつかまた、あの会場の片隅で、皆様と一緒にゲームについて語り合える日を楽しみにしつつ、今回のレポートを締めくくらせていただきます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!